世界金融危機(せかいきんゆうきき)は、サブプライムローン問題を背景に、2007年のアメリカの住宅バブル崩壊に端を発した国際的な金融危機のことである。
2008年9月29日にアメリカ合衆国下院が緊急経済安定化法案を一旦否決したのを機に、ニューヨーク証券取引市場のダウ平均株価は史上最大の777ドルの暴落を記録した[1]。金融危機はヨーロッパを中心に各国に連鎖的に広がり、さらに10月6日から10日まではまさに暗黒の一週間[2]とも呼べる株価の暴落が発生し、世界規模の恐慌への発展が危惧されている。日本でも日経平均株価が暴落したほか、生命保険会社の大和生命保険が破綻した。
ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンは、生産、金融、消費の世界的な縮小状況について「これは実に第二次世界恐慌(a Second Great Depression)の始まりのように思われる」と評した。[3]また、国際通貨基金(IMF)のストロスカーン専務理事は非公式のコメントとして「(日本を含む先進各国は)既に恐慌(depression)の状態にある」と述べた。[4]
2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した同時多発テロで国内は混乱し、ニューヨーク証券取引市場は太平洋戦争開戦以来の市場閉鎖に追い込まれた。破壊された世界貿易センタービルでは多くの金融機関が入居しており、その被害も甚大だったことから、当時のFRB議長アラン・グリーンスパンは金融秩序維持の為に、これまでの政策を一転させて、全面的な金融緩和政策に転じ、米国国内は超低金利下となった。当時、日本発のデフレーションが世界的に伝播する懸念もあり、その政策は正当視されていたものの、その後の米国国内土地バブル景気の温床となった。
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2003年3月19日に始まったイラク戦争によって、これまで非公式に輸出されていた世界第2位の埋蔵量を誇ったイラクの原油輸出が不可能となり、OPEC諸国の価格カルテル機能が復活するようになった。加えて、テロ攻撃回避から石油精製施設への設備投資が世界的に滞っていたこともあり、この結果、原油価格の上昇が加速された。産油国は余剰利益の運用をこれまでの金融市場での運用から分散させて商品市場への投資にまで拡大した。これによって、商品市況は上昇に向かい、資源価格が上昇したと共に、豪ドルやカナダドルに代表される資源国通貨も全面高となった。加えて、OPEC非加盟国であったロシアは原油価格の高騰で採算に難があった北極油田の採掘が可能となり、サウジアラビアを抜いて世界一の産油国となり、原油の輸出により、これまでの債務国から債権国に転じた。また、冷戦が終了したことにより経済のグローバル化が促進されたことで、BRICsに代表される新興経済発展諸国の経済発展が始まると共に新興経済発展諸国の外貨準備高も増加し、その資金運用が米国に向かい、世界的な資金がアメリカに集中するようになった。これが米ドル高となり、米国国内に流入した過剰流動資金が米国不動産市場にも流れてサブプライムローンに代表されるバブル経済を構築するに至った。
原油取引は米ドル決済で行われていることから当初は基軸通貨として安定した米ドルでの取引においては産油国の量的な規制は緩やかなものであったが、高騰する原油価格によって、世界経済全体ではエネルギー価格や資源価格の上昇から、インフレーションの懸念や代替燃料としてバイオマスエタノール等の開発が促進されたことで家畜飼料となる穀物価格が上昇して食料危機の兆候が出始めた。各国はインフレ警戒感から金融引き締めに転じ、米国との金利格差が生じることになったことや、イラク戦争当時指導者であったサッダーム・フセイン大統領が2006年12月30日に処刑されたことから、イラクの政情安定の見通しが拡がり、翌2007年から為替市場では米国からより金利の高い通貨国への資金移動が起こり始め、米ドルは下落に転じるようになった。