2009年06月25日

世界金融危機

世界金融危機(せかいきんゆうきき)は、サブプライムローン問題を背景に、2007年のアメリカの住宅バブル崩壊に端を発した国際的な金融危機のことである。

2008年9月29日にアメリカ合衆国下院が緊急経済安定化法案を一旦否決したのを機に、ニューヨーク証券取引市場のダウ平均株価は史上最大の777ドルの暴落を記録した[1]。金融危機はヨーロッパを中心に各国に連鎖的に広がり、さらに10月6日から10日まではまさに暗黒の一週間[2]とも呼べる株価の暴落が発生し、世界規模の恐慌への発展が危惧されている。日本でも日経平均株価が暴落したほか、生命保険会社の大和生命保険が破綻した。

ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンは、生産、金融、消費の世界的な縮小状況について「これは実に第二次世界恐慌(a Second Great Depression)の始まりのように思われる」と評した。[3]また、国際通貨基金(IMF)のストロスカーン専務理事は非公式のコメントとして「(日本を含む先進各国は)既に恐慌(depression)の状態にある」と述べた。[4]

2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した同時多発テロで国内は混乱し、ニューヨーク証券取引市場は太平洋戦争開戦以来の市場閉鎖に追い込まれた。破壊された世界貿易センタービルでは多くの金融機関が入居しており、その被害も甚大だったことから、当時のFRB議長アラン・グリーンスパンは金融秩序維持の為に、これまでの政策を一転させて、全面的な金融緩和政策に転じ、米国国内は超低金利下となった。当時、日本発のデフレーションが世界的に伝播する懸念もあり、その政策は正当視されていたものの、その後の米国国内土地バブル景気の温床となった。

英語の上達秘伝!
学べる東京の専門学校
休日の安いショッピング散歩
賢い消費者金融の見つけ方
おみくじ道のプロローグ
人材派遣の登録の仕方!
就職・転職ガイドの教え
美容サプリ情報案内
男道の格闘技、武術を学ぶ
全国制覇お笑い芸人誕生
特報・働くお父さんの求人情報
歴史の足跡魅力を紹介
アウトドアアイテムの紹介
旅行、観光は私におまかせ!
大冒険気になる仕事をチェック!
吉日の海外ツアー大作戦
めだかの探偵物語
ガイアの手術体験記
マザー離婚のタイミング
安い部屋探し
雑貨の世界紀行
家族でオートキャンプ

2003年3月19日に始まったイラク戦争によって、これまで非公式に輸出されていた世界第2位の埋蔵量を誇ったイラクの原油輸出が不可能となり、OPEC諸国の価格カルテル機能が復活するようになった。加えて、テロ攻撃回避から石油精製施設への設備投資が世界的に滞っていたこともあり、この結果、原油価格の上昇が加速された。産油国は余剰利益の運用をこれまでの金融市場での運用から分散させて商品市場への投資にまで拡大した。これによって、商品市況は上昇に向かい、資源価格が上昇したと共に、豪ドルやカナダドルに代表される資源国通貨も全面高となった。加えて、OPEC非加盟国であったロシアは原油価格の高騰で採算に難があった北極油田の採掘が可能となり、サウジアラビアを抜いて世界一の産油国となり、原油の輸出により、これまでの債務国から債権国に転じた。また、冷戦が終了したことにより経済のグローバル化が促進されたことで、BRICsに代表される新興経済発展諸国の経済発展が始まると共に新興経済発展諸国の外貨準備高も増加し、その資金運用が米国に向かい、世界的な資金がアメリカに集中するようになった。これが米ドル高となり、米国国内に流入した過剰流動資金が米国不動産市場にも流れてサブプライムローンに代表されるバブル経済を構築するに至った。

原油取引は米ドル決済で行われていることから当初は基軸通貨として安定した米ドルでの取引においては産油国の量的な規制は緩やかなものであったが、高騰する原油価格によって、世界経済全体ではエネルギー価格や資源価格の上昇から、インフレーションの懸念や代替燃料としてバイオマスエタノール等の開発が促進されたことで家畜飼料となる穀物価格が上昇して食料危機の兆候が出始めた。各国はインフレ警戒感から金融引き締めに転じ、米国との金利格差が生じることになったことや、イラク戦争当時指導者であったサッダーム・フセイン大統領が2006年12月30日に処刑されたことから、イラクの政情安定の見通しが拡がり、翌2007年から為替市場では米国からより金利の高い通貨国への資金移動が起こり始め、米ドルは下落に転じるようになった。

2009年06月10日

憲法改正については過度の干渉をしない方針であった

総司令部は、当初、憲法改正については過度の干渉をしない方針であった。しかし、総司令部は、1946年(昭和21年)の年明け頃から、民間の憲法改正草案、特に憲法研究会の「憲法草案要綱」に注目しながら、日本の憲法に関する調査・研究の動きを活発化させた。もっとも、同年1月中は、憲法改正に関する準備作業を続け、日本政府による憲法改正案の提出を待つ姿勢をとり続けた。

ここで総司令部内で問題となっていたのは、マッカーサーが日本の憲法改正について、いかなる権限を持つのかという法的根拠、法的論点であった。この点につき、総司令部の民政局長であったコートニー・ホイットニーは、「現在閣下は、日本の憲法構造に対して閣下が適当と考える変革を実現するためにいかなる措置をもとりうるという、無制限の権限を有しておられる」と結論づけるリポートを提出した(1946年2月1日付「憲法改正権限に関するホイットニー・メモ」[14][15])。このレポートでは、2月26日に迫った極東委員会の発足後は、マッカーサーの権限が無制限でなくなることも併せて指摘している。

このレポートが提出されたのと同じ日、2月1日付の毎日新聞が、「松本委員会案」なるスクープ記事を掲載した。[16]この記事に載った「松本委員会案」とは、宮沢委員が委員会での議論を踏まえて試みに作成し、1月4日の第8回調査会に提出した「宮澤甲案」であった。この「宮澤甲案」の内容は、松本委員会に提出された草案の中では比較的リベラルなもので、内閣の審議に供された「乙案」に近かった。政府は直ちに、このスクープ記事の「松本委員会案」は実際の松本委員会案とは全く無関係であるとの談話を発表した。

しかし、その記事を分析したホイットニー民政局長は、それが真の松本委員長私案であると判断した(1946年2月2日付「毎日新聞記事「憲法問題調査委員会試案」に関するホイットニー・メモ」[17])。また、この案について、「極めて保守的な性格のもの」と批判し、世論の支持を得ていないとも分析した。そこで総司令部は、このまま日本政府に任せておいては、極東委員会の国際世論(特にソ連、オーストラリア)から天皇制の廃止を要求されるおそれがあると判断し、総司令部が草案を作成することを決定した。その際、日本政府が総司令部の「受け容れ難い案」を提出された後に、その作り直しを「強制する」より、その提出を受ける前に総司令部から「指針を与える」方が、戦略的に優れているとも分析した。
ライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
ダーツ
ビタミン
近代オリンピック
カロリー
ホームシアター
脳神経外科
ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
日サロ体験

2月3日、マッカーサーは、総司令部が憲法草案を起草するに際して守るべき三原則を、憲法草案起草の責任者とされたホイットニー民政局長に示した(「マッカーサー・ノート」)。三原則の内容は以下の通り。[18][19]

天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。
Emperor is at the head of the state.His succession is dynastic.His duties and powers will be exercised in accordance with the Constitution and responsive to the basic will of the people as provided therein.
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。
The feudal system of Japan will cease.No rights of peerage except those of the Imperial family will extend beyond the lives of those now existent.No patent of nobility will from this time forth embody within itself any National or Civic power of government.Pattern budget after British system.
この三原則を受けて、総司令部民政局には、憲法草案作成のため、立法権、行政権などの分野ごとに、条文の起草を担当する8つの委員会と全体の監督と調整を担当する運営委員会が設置された。2月4日の会議で、ホイットニーは、すべての仕事に優先して極秘裏に起草作業を進めるよう民政局員に指示した。起草にあたったホイットニー局長以下25人のうち、ホイットニーを含む4人には弁護士経験があった。しかし、憲法学を専攻した者は一人もいなかったため、日本の民間憲法草案(特に憲法研究会の「憲法草案要綱」)や、世界各国の憲法が参考にされた。民政局での昼夜を徹した作業により、各委員会の試案は、2月7日以降、次々と出来上がった。これらの試案をもとに、運営委員会との協議に付された上で原案が作成され、さらに修正の手が加えられた。2月10日、最終的に全92条の草案にまとめられ、マッカーサーに提出された。マッカーサーは、一部修正を指示した上でこの草案を了承し、最終的な調整作業を経た上で、2月12日に草案は完成した。マッカーサーの承認を経て、2月13日、いわゆる「マッカーサー草案」(GHQ原案)[20]が日本政府に提示された。

2009年06月06日

鉄筋コンクリート

鉄筋コンクリート(てっきんコンクリート、英: reinforced concrete),(RC)は、引張りに弱いコンクリートを補強するために鉄筋を配したコンクリートである。鉄筋は引張りが作用しても引き抜けないように、両端をアルファベットのJの形状に曲げたフックにしたり、節(リブ)のある異形鉄筋が用いられる。

鉄筋コンクリートには、曲げ引張破壊と曲げ圧縮破壊、せん断破壊、付着割裂破壊、疲労破壊などの破壊メカニズムがある。

曲げ引張破壊
コンクリート部材に曲げモーメントが作用したときに、引張り側の鉄筋が降伏に達して、部材が破壊するモード。
曲げ圧縮破壊
曲げ引張破壊と同じく、コンクリート部材に曲げモーメントが作用したときに、圧縮側のコンクリートが破壊に達して、部材が破壊するモード。鉄筋量が極端に多いときに発生する。
せん断破壊
冠婚 学習指導 産業 化粧品 信越北陸 エステ 金融 懸賞 建売 ポイント 審美歯科 ゲーム リフレ 美容 英会話 ホテル 楽器教室 水族館 サプリ 探偵 ダイエット 不動産 実益 リフレ 生活雑貨 老人 墓石 教材 事務用品 資格 公園 美容室 予備校 予約 若返り 投資 サプリ 設計施工 キャッシング リフレ 抜け毛 老人 寝具 セミナー 近畿東海 パソコン 旅行 育毛 SEM促進 健康

コンクリート部材にせん断力が作用したときに、せん断耐力に達して破壊するモード。非常に脆性的な破壊であり、防がなければならない。
付着割裂破壊
鉄筋の引き抜きにより、鉄筋に沿ってクラックが入り、それが進展して部材の破壊に至るモード。異形鉄筋が引き抜きに耐えられなくなったときに発生する。
疲労破壊
部材の応力は破壊に達していなくとも、荷重を数百万回にもわたって受けることによって局所的にクラックが入り、それが進展して部材の破壊に至るモード。
曲げ破壊を防止することを目的とした鉄筋を主鉄筋、せん断破壊を防止するための鉄筋をせん断補強鉄筋と呼ぶ。梁のせん断補強鉄筋を肋筋またはスターラップ、柱のせん断補強鉄筋を帯鉄筋またはフープと呼ぶこともある。主鉄筋は部材の長い方向に配され、せん断補強鉄筋はそれに垂直に固定される。梁の場合、通常、荷重は上からかかるので主鉄筋は上下端に配される。一方、柱の場合、地震などの方向の特定できない外力に耐える必要から四辺ともに配される。

2009年04月23日

相合い傘

キノコの部位#傘 - 形状が傘に似ることから。
核の傘
傘寿 - 80歳。傘の略字「仐」を分解すると八十になる事から。
ヤブレガサ - キク科の植物(学名はSyneilesis palmata)
からかさ小僧 - 「からかさお化け」とも。古い傘が化けた物とされる妖怪。道具が歳月を経て意思や変化する能力を得た付憑神(つくもがみ)の1つ。『ゲゲゲの鬼太郎』の影響もあって、妖怪の中では比較的有名である。一般には、一つ目に一本足、赤い大きな舌という姿で表現される。この場合の傘は和傘である。
雨傘番組 - テレビ・ラジオ等で放送予定のイベントが雨天等の理由により中止・順延した際、代わりに放送するために用意された番組。
傘回し - ジャグリング・大道芸の一。

ビタミンようこそ医療総合
墓地・ペット関連おトクにショッピング
通信教育・生涯学習関連教育学びネット
キャンプ場・ホテル関連全国地域情報総合
サプリメント・育毛関連美容情報
信託・弁護士関連おまかせビジネス紹介
調査・出会い関連生活・暮し情報
プール家庭の医学・健康サーチ
菜園・おもちゃ関連総合通販全国情報ガイド
専門学校・学習関連教育ジャンプCOM

相合い傘
二人で一つの傘を共有する行為を、相合い傘(あいあいがさ、合い合い傘、相々傘とも表記)、相傘(あいがさ)、最合い傘(もあいがさ、もやいがさ)という。なにか一つのものを複数人で共用、共有すること、またその様をあらわすことばである「相合」と、「傘」を組合せ、傘を共にするさまを表している。連声して、東京地方や愛知県では、「あいやいがさ」とも発音される。東京式アクセントでは、「か」(か゜)にアクセントを、京阪式アクセントでは二つ目の「い」にアクセントをつける。

相合傘の別称、もやいがさ(最合い傘)のもやい(催合、最合、持相、摸合、諸合)は、「共有する」、「持ち合う」を意味するハ行四段活用動詞、もやう(催合う)の連用形、名詞化したことばで、何か物事を人と一緒にとり行うことをいう。つまり、催合は、相合と、大体同じ意味であると考えてよい。

文学上の表現
相合い傘は二人の親密さを表現する言葉としても多用されており、それは江戸時代の川柳や浄瑠璃(近松門左衛門『津国女夫池』享保6年「君と淀とが。相合笠の袖と袖。」)、滑稽本(式亭三馬『浮世風呂』「夫婦とおぼしき者、相合傘(アヒヤイガサ)で、しかも欣然として通る」)において既に見られる。また、異性と親密になるきっかけとして相合い傘を持ちかける川柳などもある[2]。

雨に濡れないよう互いに肩を寄せあう情景から、しばしば二人が恋愛関係であることを暗示する。また、1920年(大正9年)に発行された『日本大辞典:言泉』(落合直文著、芳賀矢一改修、大倉書店刊)によれば、俚言、俗語として、男女間の情交もさすとしている。

男女が行う場合は、身長が女性より高いであろう男性が傘を持ち構える。さらには、雨にぬれるのを厭わず傘を持っていない方の肩を傘からだすことによって、二人で使うには窮屈な傘に場所をつくり女が雨にうたれてしまうのを避ける、というシーンは物語や映画などにおいてよく見られる。前途の川柳の中には、女性側も気を使い、結果両名とも肩を濡らす情景を詠んだものもある。恋愛を主題にした物語においては、恋愛のステップを描く道具として、様々な状況で相合い傘は盛んに使われる。

林不忘の『寛永相合傘』は、斬り合い共に果てた甚吾と十郎兵衛を指してタイトルに「相合傘」を用いている。

落書き
相合い傘は絵や落書きでもしばしば表現される。二等辺三角形の下に直線をおろした簡単な傘を描き、直線を柄に見立ててその両側に2人の名前を記したものである。直線は三角形の底辺から引き、三角形を割らない場合と、一番上の頂点から引き、三角形を割る場合の2種類がある。一番上の頂点にハートマークをつけることもある。この落書きは大体、カップルに対する揶揄を狙って書かれる。江戸時代にも見え、並木五瓶が書いた文化4年(1807年)の『俳諧通言』には、「相合傘(アイヤイガサ) 是は落書にて女郎芸子の色男と二人りの名を仇書にして傍輩の芸子女郎色事をそやすなり」とある。また、夏目漱石の『虞美人草』(1907年、明治40年)にも、白墨で電信柱に書かれた相々傘(アヒアヒガサ)の落書が、永井荷風の1909年(明治42年)の作品『すみだ川』にも板塀や土蔵の壁に書かれた相々傘(アヒアヒガサ)の落書がでてくる場面があり、やはりこれらの場合でも、男女仲を囃すために用いられていることがわかる。意中の人との恋愛成就を願う場合もある。

2009年04月19日

帝国主義時代

1870年代以降、欧米諸国では重工業を中心に生産力が増大するとともに、企業の集中と独占がすすみ、大企業と大銀行が結合してさまざまな産業を支配した。この傾向は、アメリカ合衆国やドイツでとくに強くみられ、工業生産力におけるイギリスの圧倒的優位はくずれてきた。列強は、市場と原料の獲得だけでなく、資本を投下し利潤を求めるため、きそって海外に向かい、世界各地で軍事衝突をひきおこしながら自国の植民地や勢力圏を拡大していった。その結果、列強はしだいに対立を深めていくとともに、従来は資本主義経済の影響のおよばない空白地域だったアジア内陸部、アフリカ大陸、太平洋諸地域もこれら諸国によりすみずみまで分割され、「分割を通じた世界の一体化」が進行した。また、ヨーロッパ以外のアメリカ合衆国や大日本帝国もこの競争に参入し、さらに中国、トルコ、イランなどの古い文明国も分割の対象となった。

このように、資本主義の高度に発達した段階とそれに対応する列強の対外膨張策は帝国主義とよばれる。時代区分としては、一般に世紀転換期から第一次世界大戦までを帝国主義時代と呼称する。

科学技術の発達と重工業の発展
イギリスで18世紀にはじまった繊維産業などの軽工業を中心とした工業化を第一次産業革命とよぶのに対し、19世紀後半のドイツやアメリカの重工業を中心とした高度の科学技術による工業化を「第二次産業革命」とよんでいる。この時代は、物理学、化学を中心に相次いで現代の技術の根幹となる法則が発見され、それらを元に現在でも使われる商品が相次いで発明された時代だった。そして、重要な交通手段となる自動車や飛行機の開発や実用化が進展したのも、この時期だった。

この頃、運河・鉄道の開通が世界の一体化に拍車を掛けた。1872年に出版された、フランスのジュール・ヴェルヌの小説『80日間世界一周』は、当時世界中にはりめぐらされていた鉄道網と蒸気船の発達、および1869年のスエズ運河およびアメリカ大陸横断鉄道の開通を背景にしているとされる。とりわけ、スエズ運河の開通によってアジア航路は従来の喜望峰経由よりも大幅に短縮された。1914年にはアメリカ大陸でパナマ運河も開通した。
物理学の分野では、ヘルムホルツらがエネルギー保存の法則を発見し熱力学の発展の嚆矢となり、1876年、ドイツのニコラウス・オットーがガソリンで動作する内燃機関(ガソリンエンジン)を発明すると、ゴットリープ・ダイムラーがこれを改良し、二輪車や馬車に取り付け、走行試験を行って1885年にダイムラーによる特許が出された。同年、ドイツのカール・ベンツは、ダイムラーとは別にエンジンを改良し、車体から設計した3輪自動車を製造した。1907年には、アメリカのヘンリー・フォードがフォード・モデルTを発売している。フォードは、流れ作業による大量生産方式を採用して製造コストを引き下げることに成功し、のちに巨大産業となる自動車産業の基礎をつくった。

アメリカの自転車屋だったライト兄弟が初飛行に成功したのは1903年のことだった。以後、飛行機の開発と実用化はまたたく間に進展し、第一次世界大戦までにすべての先進国が保有するまでになった。

鉄道や運河に加えて世界の一体化を推進したのは情報伝達手段の発達だった。サミュエル・モールスが1837年に電信機を開発すると急速に普及し、ドーヴァー海峡には早くも1851年、大西洋には1865年に海底電線が敷設され、20世紀はじめには全世界が電信でむすばれるようになった。さらに、1876年にはグラハム・ベルが電話を開発し、グリエルモ・マルコーニは1895年に無線電信を開発した。

19世紀後半は、先進諸国の民衆の生活の向上や政治制度の改革、公教育の普及、時代を反映した世界への関心などにより各国で新聞や雑誌などのマスメディアが大きな役割を果たすようになった。電灯や蓄音機を開発して「発明王」とよばれたトーマス・エジソンは1893年に映画を発明したが、これらは20世紀のラジオやテレビなどへ発展していく技術の基礎となった。

マイケル・ファラデー、ジェームズ・クラーク・マクスウェルらが電磁気学を確立していくと、電気が新たにエネルギー源として普及し始めた。ピエール・キュリーとマリ・キュリー夫妻が世界で初めて放射性物質であるラジウムを1898年に発見し、原子物理学の端緒となった。1905年にはアルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論を発表、1915年から1916年には一般相対性理論を発表し、アイザック・ニュートン以来のニュートン力学を書き換えることとなった。

化学分野では、ユストゥス・フォン・リービッヒが有機化学の基礎を確立した。これが元になり有機肥料の生産が始まり、農業に使われていくことになったり、合成染料、化学繊維、合成ゴムが開発されていった。また、アルフレッド・ノーベルがダイナマイトを開発したのもこの時期である。

医学・生物学の分野では、チャールズ・ダーウィンの進化論、グレゴール・ヨハン・メンデルのメンデルの法則といった生物学の基礎がつくられていった。感染症対策の研究も進むようになり、ルイ・パスツールが狂犬病の予防接種に成功し、ロベルト・コッホが結核菌を発見、北里柴三郎がジフテリアや破傷風の治療法を確立、志賀潔が赤痢菌を発見した。

このように物理学、化学分野を中心とした技術革新は重化学工業の発達を促したが、重化学工業が産業として確立するには、巨大な設備投資と設備投資に見合った商品の大量消費が必要となった。そのため、企業の集中と合併が相次ぎ独占資本が形成され、独占資本は国家と結びつき、軽工業の時にもまして原料供給地と商品市場を希求していくことになった。

スポーツ分野での一体化
帝国主義は、スポーツ分野での世界の一体化をも促進した。フランスのピエール・ド・クーベルタンは歴史書に記されたオリュンピアの祭典の記述に感銘を受け、「ルネッサンス・オリンピック」の演説のなかで近代オリンピックを提唱し、賛同者をつのって国際オリンピック委員会(IOC) を設立して、1896年には第1回近代五輪大会となるアテネオリンピックの開催にこぎつけた。1904年には、オランダ、スイス、スウェーデン、スペイン、ドイツ、デンマーク、フランス、ベルギーの8か国で国際サッカー連盟(FIFA)が創立された。初代会長は、フランスのロベール・ゲランだった。

モノと人の移動 [
この時代、工業国である帝国主義列強が周縁(植民地や従属国など)の農業地域への支配を広め、強めることを通じて世界の一体化が加速した。上述のように鉄道、大型汽船、電信など交通・通信網が発達して、モノ・人・情報の流れも太くなった。世界貿易は1870年から1913年のあいだに4倍にもふえた。

また、19世紀のヨーロッパでは、人口の増大や交通機関の発達などにより、大規模な人口移動がおこった。各国では人口の都市への集中がみられる一方海外移民も増加した。第一次世界大戦までの100年間に新大陸に渡ったヨーロッパ人は6,000万人におよび、19世紀はまさに「移民の世紀」だった。

最大の移民受け入れ国はアメリカ合衆国であり、その数は1821年から1920年までの100年で約3,300万人とされる。その前半には北・西ヨーロッパから、その後半は南・東ヨーロッパからの移民が多くみられ、これは各国の工業化の進展の時期のずれを示している。人口増加や貧困などの経済的な要因だけでなく、迫害を受けたユダヤ人のように政治的な要因からの移民もおこなわれた。18世紀までのヨーロッパからの移民がおもに年季契約のかたちをとった労働移民だったのに対し、19世紀には自由移民が主流となった。また、19世紀なかばに黒人奴隷が解放されると中国やインドから労働者をやといいれ、不足する労働力をおぎなった。

モンブラ こまひ レイク モミジ プルライフ 月の海峡 しおじ コメン フォール ショートケー ティーホル メーカー オートメ わかた ビーフ イザヤ ロストル フリース エイグ ススキ ヒーロー チフス シーズ レード サルト マンパ サイトむい パクチー せりか ゲート ちこり メナム ション ストッキン オフス イソップ シュボド マップ ノンフ スツール ハイパー ドミノ タシケ コダチア プレス バウンス スーパー リコリス ハラム ウチク


一方労働力が不足していたラテンアメリカにも、主にイタリア、スペイン、ポルトガルを中心とした南ヨーロッパ諸国から大規模にヨーロッパ人が移民した。最大の移民受け入れ国だったアルゼンチン、ブラジルには100万人単位の移民があり、ウルグアイ、チリ、スペイン領キューバなどにも10万人単位の移民が流入した。

ヨーロッパ諸国のアジア・アフリカ植民地では、植民地経営のために政策的にヨーロッパからの植民がなされた。また、世界的な奴隷制度廃止にともない、鉱山や農園(プランテーション)開発や鉄道建設のため、アジアからの労働移民が東南アジアやアフリカ大陸にわたった。
東南アジアにおける植民地経営を支えていたのは、マレー半島のゴムや錫、インドネシアの農業生産などであり、そこで必要とされた労働力は、中国南部やインド南部から調達された。かれらの多くは契約労働者だったが、現地に定住する者も少なくなかった。これにともない商業活動に進出する者も増え、これらの中国系移民(華僑)とインド系移民(印僑)は、その後、東南アジア各地で大きな影響力をもつこととなった。

アフリカへの移民はインドからが多く、イギリス帝国のもとではイギリス植民地相互の植民もおこなわれた。

なお、アメリカ大陸・オーストラリア・南アフリカのアジア系移民は、白人労働者と競合したため、黄禍として排斥されたり、移民を制限されることもあった。1870年代にはカリフォルニア州で中国人排斥の動きが高まり、1882年には中国人移民禁止法がアメリカ合衆国議会で成立した。また、オーストラリアではアジア系移民を認めない白豪主義が採用された。

その一方で、世界の一体化にともない、上流階級の特権だった旅行もしだいに大衆化した。トマス・クックは、1841年鉄道を利用した格安のパック旅行を始め、のちに海外旅行も扱った。1880年代にはエジプトやインドなどイギリス帝国圏に事業を展開していった。

2009年04月04日

魁傑將晃

魁傑 將晃(かいけつ まさてる、1948年2月16日 - )は、花籠部屋所属の元大相撲力士。最高位は大関。本名は西森輝門(にしもり てるゆき)。得意手は突っ張り、左四つ、寄り。身長188cm、体重128kg。"黒いダイヤ"“怪傑黒頭巾"の異名がある。

山口県岩国市に生まれ、小学校3年生まで岩国市で過ごし、その後は日本大学に進学するまで下関市で過ごした。下関市立日新中学校時代に柔道を始め、山口県立下関中央工業高等学校では柔道部の主将になった。講道館で行なわれた紅白試合で6人抜きを達成して講道館3段と銀盃が与えられるなどの実績を見て、花籠親方(前3・大ノ海)がスカウトに来るが本人はこれを断わり日本大学に進学。しかし花籠親方が父を説得したことを知って入門を決意、大学を1年で中退して1966年(昭和41年)9月場所で初土俵を踏んだ。

最初は花錦という四股名だったが、本人はこれを自分には合わないとして嫌っていた。後に改名することになった際に女将さんによって魁傑と命名されると(本人は別の候補を選んだらしい)、これが昔中国で活躍した武将の名であることを知って大いに気に入り以後は相撲に熱が入るようになった。

1971年(昭和46年)9月場所に新入幕、この場所は7勝8敗と負け越すが幕内にとどまり、11月場所は8勝7敗、1972年(昭和47年)1月場所は7勝8敗、どうにか幕内を維持しているといった程度の凡庸な成績が続いた。しかし3月場所は絶好調で、横綱・北の富士とこの場所大関とりとなる関脇・長谷川らを倒して12勝3敗、長谷川との優勝決定戦では作戦にはまって残念ながら負けて準優勝に終わった。この頃から輪島、貴ノ花らと並んで「阿佐ヶ谷トリオ」として注目され、特に魁傑は女学生に絶大な人気を博した。

1972年5月場所は新三役となる小結に昇進して11勝4敗(この場所のエピソードとして、9日目に大関・大麒麟との取組でマゲを引っ張られ反則勝ちとなる)、7月場所は関脇に昇進して10勝5敗、大関に向けて大きく飛躍した。流石に1度は跳ね返されたが、その後は三役に定着し大関目前となる場所もあった。1974年(昭和49年)11月場所には小結で12勝3敗、決定戦で弱いと評判の横綱・北の湖との優勝決定戦で一方的に突き出して初優勝。翌1975年(昭和50年)1月場所でも11勝4敗の好成績を収め、3場所通算で30勝15敗+優勝1回の好成績により大関に推挙された。なおその2場所前の1974年9月場所で魁傑は7勝8敗と負け越している。年6場所制以降、大関昇進力士で大関昇進前3場所間に負け越しの場所があるのは他に若羽黒がいる。

新大関となった1975年3月場所は11勝4敗、翌5月場所は12勝3敗でこの場所は優勝した北の湖を千秋楽に撃破して2敗とした。優勝1点差で準優勝となり、綱取り場所となった7月場所は8勝7敗と不調。肘の故障で得意の攻めが出せず、続く9月場所、11月場所は2場所連続で6勝9敗と負け越して大関から陥落し、1976年(昭和51年)5月には平幕6枚目まで下がった。

しかし9月場所では前頭4枚目で14勝1敗を挙げて2度目の優勝(元大関の平幕優勝は史上初)、11月場所には関脇に復帰して11勝4敗、1977年1月場所も11勝4敗の好成績を収め、3場所通算で36勝9敗の好成績により若三杉とともに大関推挙を受けた。本来大関推挙を伝える使者が来るのは通常1度きりのところ、返り咲きとなる魁傑にも使者が送られた。2度大関の使者を受けたのは、現在までただ1人である。本人はその時「一度大関の名を汚しちゃったので、(口上で)何と言えばいいのかなあ」と言っていたらしい。なお大関陥落の翌場所に10勝を挙げられず、のちに大関復帰を果たしたのは魁傑ただ1人である。

しかしせっかく大関に戻ったのに8勝7敗が2場所連続続き、またしても肘の故障に悩まされ、1977年7月場所、9月場所を連続負越して再び大関から陥落した。2度目の陥落後も横綱や大関との名勝負を繰り広げ、ファンは史上初となる3度目の大関昇進を願ったがついに果たせず、1979年(昭和54年)1月場所11日目で引退した(4勝7敗、引退当日の不戦敗は除外)。印象に残る取組として、引退する前年の1978年(昭和53年)3月場所7日目、大関旭國との対戦で水入り、再水入りでも勝負がつかず、10分後取り直しとなり三度水入りとなる寸前に掬い投げで勝ち、合計10分19秒にわたる大熱戦の一番がある。ちなみに魁傑はこの一番の前日の6日目、大関若三杉とも水入りの相撲を取っており(この時は敗戦)、旭國も膵臓炎で場所前に退院したばかりであった。

度重なる負傷により、好不調の波が激しかった。特に左肘の状態がひどく、このために大関から2度陥落したがその負傷さえなければ横綱になっていたという評価は現在でも耳にする。また現役中の名言は、休場力士が出ると度々新聞に掲載され、相撲ファンの間では安易に公傷を認める日本相撲協会に対する投書に使われたこともある。また腰が高いという欠点もあって、相撲解説者・玉の海梅吉は、四股名をもじって「魁傑は未解決だね」と言っていた。どうやら強弱の差が激しく、強みと弱みが表裏一体であるといった意味だったらしい。

「休場は負けだ」との名言を残し(「試合放棄だ」と言ったこともある)、不調で黒星が続いても決して休まず戦う姿はファンの人気を集め、また誠実な土俵態度とあいまって力士の手本と評され名大関と呼ばれた。現役時代の後援会長は同郷の佐藤栄作が、死去するまで務めた。

引退後は年寄・17代放駒を襲名し、1981年(昭和56年)に花籠部屋から分家独立した(この時移籍した内弟子の中に後の横綱となる大ノ国がいた)。その後、弟弟子で12代花籠を継承した輪島が借金の担保に年寄名跡をあてがうという事件が発覚して廃業すると、一門の長老であった二子山親方(横綱・初代若乃花)に指名されて花籠部屋の弟子全員を引き取ることになり、放駒部屋は小部屋から一気に大部屋へと躍進した。

現役時代に見せた誠実さは年寄になってからも評価され、引退後1年で審判委員に抜擢される。その後は協会の常勤役員(役員待遇)として事業部副部長、広報部副部長などの要職を十数年に渡り務め、2006年1月場所後に理事へ昇進し、審判部長の要職に就いた。しかし2006年7月場所で優勝次点ながらも4場所連続で13勝以上した大関・白鵬の横綱昇進と、3場所通算で34勝した雅山の大関再昇進について見送る旨の発言をし、好角家から大きな反発を招いた。

白鵬の直前3場所の成績(13勝の同点優勝+14勝の優勝+13勝の優勝1点差)は放駒親方の弟子・大乃国の横綱昇進時の成績(15戦全勝+12勝の優勝1点差+13勝の優勝1点差)を上回り、雅山の直前3場所の成績(34勝11敗)は魁傑自らの大関昇進時の成績(優勝1回を含む30勝15敗)を上回るものであり、その整合性のなさが指摘された。しかし横綱昇進に関しては、形式上は番付編成会議及び臨時理事会で討議されるものの横綱審議委員会が事実上の昇進決定を下す機関となり、審議委員会は基本的に近年は準ずる成績というものを採用していない。また大関昇進に関しては、その時期における大関の人数、昇進に向けての機運などにも左右されているが、雅山の時は既に大関が5人いる上優勝がないという状況であった。

また部長昇格直後の2006年5月場所で幕下付出15枚目格で全勝優勝した下田圭将の十両昇進を見送り同力士がその後低迷したためこれに対する批判が未だにある。さらに2007年3月場所では西幕下2枚目で5勝2敗の境澤、同5月場所、7月場所では市原の十両昇進を見送った。これらの編成は日大中退(自身は柔道部出身だが、中退しての角界入りが必ずしも本意でなかったことや、日大同期である輪島に対して好感が持てなかったなど?)であるが故の日大相撲部出身者に対する嫌がらせであるとする声もある。2007年9月場所の番付では西幕下筆頭の市原が勝ち越しているのにも関わらず大方の予想を覆し35年ぶりの十両陥落者なしという編成を行い話題を呼んだが従来の慣行では十両ー幕下は上がり優先であり幕下上位に勝ち越し者がいる場合には大敗者が十両下位にいない場合でも陥落させるべきであるという意見や帳尻合わせの容認につながりかねないという懸念を表明する意見もあった。

そのような意見をよそに2008年11月場所では西幕下筆頭で5勝2敗の福岡の十両昇進を見送り、下がり優先の傾向はより顕著になった。

主な成績 [編集]
幕内在位:45場所
三役在位:21場所(関脇13場所、小結8場所)
大関在位:9場所
通算成績:521勝410敗4休(74場所) 勝率.560
幕内通算成績:367勝304敗4休 勝率.547
大関通算成績:70勝65敗 勝率.519
連続出場:931回(1966年11月-1979年1月)

各段優勝 [編集]
幕内最高優勝:2回(1974年11月場所、1976年9月場所)
序ノ口優勝:1回(1966年11月場所)
三段目優勝:1回(1968年1月場所)

三賞・金星 [編集]
三賞:10回
殊勲賞:2回(1972年3月場所、1974年11月場所)
敢闘賞:7回(1972年5月場所、1973年5月場所、1974年1月場所、1976年5月場所、1976年9月場所、1976年11月場所、1977年1月場所)
技能賞:1回(1972年3月場所)
金星:3個(北の湖1個、琴櫻1個、北の富士1個)

改名歴 [編集]
西森 輝門(にしもり てるゆき)1966年9月場所-1970年1月場所
花錦 輝之(はなにしき-)1970年3月場所-1970年11月場所
魁傑 輝之(かいけつ-)1971年1月場所-1973年3月場所
魁傑 將晃(-まさてる)1973年5月場所-1979年1月場所

年寄変遷 [編集]
放駒 輝門(はなれごま てるゆき)1979年1月-

らんたい レタリング ゾンサワ ブルーフ リゲル ジューレ デリー きあおみ 千社札 マッタ ピーカン かつお菜 スリム ピアス ヤペテ チェンナイ 飛躍 マトリ ステップ オレゴン マーメイド スタート スピー しんとつ リュート ドラジェ ガッツ ベロッパー わくや トレイ ソリッド レイト ソーター シェーマ セオド ミント最適 カーンプル ミノロジー タイム たいわ スイッ ハンター スイート ランチコ スクープ シルヘット ヒュー ダート チャプレ ラッキ

2009年03月21日

能登 (列車)

能登(のと)とは、西日本旅客鉄道が上野駅 - 金沢駅間を、東北本線・高崎線・上越線・信越本線・北陸本線経由で運行する夜行急行列車。

寝台特急「北陸」と同一区間を運行し、設定当初より相互補完の関係にある列車である。列車名の「能登」は石川県能登半島全域を指す旧国名能登国[1]にちなむ。
わっしょい ダード オフコ 検索村祭 コーヒー ビザウェー マンボン カイモ ハイス レザーク スパイ ナイジェ ループ ファンベト 私が主役 デイラ ストライカー キシング クアハ ワンシ ハイソ メタフ ツーロン ワイキキ デリカシー メモリ セッショ メタノール マイカ タチバナ ストレート リポート ジャンダ トメーシ オブシデ メダル サージ グリース シーモス ロビイング ドライブ ルレット シェンド ツイード スーサ クロス わっさむ レーキ ニーム トーチャー

北陸 - 首都圏を連絡する高速バス路線の増加、同区間を走る寝台特急「北陸」の存在もあり、利用状況は漸次低下の傾向にある。通年の利用傾向は、観光客・高価格帯の「北陸」や高速バスを敬遠したサラリーマン・若年層の利用が主体である。

本列車は定期乗車券と急行券で乗車が可能である。2002年のダイヤ改正まで、下りの上野駅発車は上越新幹線の最終列車や、高崎線の高崎方面行き最終普通列車より後発となる時刻設定がなされ、最終列車に乗り遅れた利用者や、リクライニングシート・喫煙を望む利用者などが当列車の自由席車両をホームライナーの代替として利用するなど、首都圏近距離区間では通勤輸送にも若干の利用層が存在する。

使用車両・編成 [編集]
使用車両
489系電車9両編成
グリーン車座席指定席…1両

上越線 - 信越本線の乗り入れにあっては、長岡駅で列車の方向が変わる「逆編成」運用となる。下り列車(金沢行き)では、上野 - 長岡間は9号車を先頭として運転し、長岡 - 金沢間では進行方向が変わり、1号車が先頭となる。

停車駅 [編集]
上野駅 - 大宮駅 - 熊谷駅 - 高崎駅 - 直江津駅 - 糸魚川駅 - 泊駅 - 入善駅 - 黒部駅 - 魚津駅 - 滑川駅 - 富山駅 - 小杉駅 - 高岡駅 - 石動駅 - 津幡駅 - 金沢駅

車内チャイム
車掌室にある車内チャイムは、「百万石音頭」・「東京音頭」・「信濃の国」・「鉄道唱歌」(オリジナル版)・「佐渡おけさ」の5曲、グリーン車にある乗務員室に「美しき青きドナウ」・「ペール・ギュント」より「朝」・カッコウチャイムが用意されている。[1]

担当車掌区 [編集]
JR西日本 金沢列車区(上下、全区間)

2009年03月06日

沙 悟浄(さ ごじょう、沙 悟淨 Sha Wujing)

沙 悟浄(さ ごじょう、沙 悟淨 Sha Wujing)は、小説『西遊記』の主要登場人物の一人である妖仙。

元々は天界の役人で捲簾大将(けんれんたいしょう。天帝の謁見を求める者が罷り出た時に、天帝の前の御簾を巻き上げる担当)職を預かる身であった。天帝の宝である玻璃の器を割った罪で天界を追われ、南瞻部州・唐土の流沙河で人を喰らう妖仙となった。

ある日、天竺に経典を取りに行く人物を探していた観音菩薩と出会って慈悲を乞い、「沙悟浄」という法名と戒律を与えられた。なお、悟浄という名は「実名敬避俗」に準じ師や兄など目上の者からの呼びかけのみに使用され、普通の人間は通称の「沙和尚」(しゃおしょう)と僧侶名で呼ぶ(孫悟空の「孫行者」、猪悟能の「猪八戒」と同じ)。原作では僧形をしているが人間とは異なる色黒の容姿から「竈君」(竈の神様)としばしば間違われる様が見られる。

その後、観音菩薩の約束どおり訪れた玄奘三蔵に弟子入りし、孫悟空、猪八戒らと共に天竺まで経典を求めて旅をした。本編では、妖仙が現れると悟空から三蔵の警護を命じられる役回りで、大した活躍をしていない。しかしこれは、もしもの時に大事な三蔵法師の護衛をまかされる程悟空から信頼されている、と言い換えることも出来る。自由奔放な2人の兄弟子と比べると、やや生真面目で実直な性質であるように描写されている。

元代の朝鮮の資料『朴通事諺解』(ぼくつうじげんかい)には悟空と八戒のみが紹介されていることから、西遊記物語への登場がもっとも遅かったものと推察され、登場人物を道教の五行思想にそって配置するために最後に付け加わったキャラクターともいえる。『大唐三蔵取経詩話』に登場する、玄奘三蔵が流沙河という砂漠で幻想に見、励まされた深沙神がモデルと推測される。日本では河童だと言われることが多いが、これは水の妖怪、というイメージからだと思われる(詳細はこのページの「日本の沙悟浄」を参照)。ほかに、ヨウスコウカワイルカをモデルに考え出されたという説もある。岩波文庫の『西遊記』の翻訳元である蘇州刊本『李卓吾先生批評西遊記』の翻訳を引き継いだ中野美代子は、後に自著内でヨウスコウカワイルカ説をヨウスコウアリゲーター説に移行した。

一般的なイメージ
半月刃の杖「降妖宝杖」 - 「降魔の宝杖」とも呼ばれる。日本のドラマではしばしば月牙または釵を使用するが、本来の鈅は農具の踏み鋤の一種で西洋農具のスコップと相同である。
髏の首飾り - 一説には玄奘三蔵の前世の9人の首とされる。三蔵一行が流沙河を渡る際に首から外され、恵岸行者の持参した瓢箪と組み合わせて筏にされた。

よく知られるエピソード
首に掛けていた9個の髑髏はすべて三蔵法師の前世の髑髏である。すなわち三蔵は下界に転生させられてからこれまで九回も西天取経を志し、かついつも流沙河で立ち往生したあげく沙悟浄に取って喰われていたということになる。ちなみに三蔵はこの十回生まれ変わる間一度も精を漏らしたことがない聖僧ということから、妖仙達の間では三蔵法師を喰えば不老長生となるとされていた。それでいっそう三蔵一行は妖仙達に狙わることになるわけであるが、十回目の挑戦では悟空以下の強力なメンバーに加え宿敵・沙悟浄まで部下にし、ついに三蔵は取経に成功したのである。
みかんいろ バリトン サーファ マスター ハンディー ニュルン すみのえ ロフルス タラップ ステン ハート フォロワー ダイヤ ディク ランド パーク カーブ シャト ラン トップ とうたい ジャン ルー メルク ニックス カレワ とうみょう ぶきいろい ディッシュ ラベル タオイズ ダイアモンド ショウ ベッド おじま ハイボー タイプライ 宇宙ステー ピンタック オートクチ ティンカー カラム モッコク ヤード きくらげ トータル ケトン ヒョウ メンバー チャンネル

名前の遍歴
捲簾大将(天帝の任命)
河伯(流沙河の水怪)
沙悟浄(観音菩薩の命名)
金身羅漢(釈迦如来の命名)
沙和尚(三蔵法師が付けた呼び名)
沙僧(後世民間人が付けた呼び名)

日本の沙悟浄
日本では「河童」とされることがあるが、それは最初流沙河の水中から現れたことに由来する日本の児童向け作品固有の意訳である。しかし、TVドラマ『西遊記』のヒットのお陰で、河童のイメージが広く定着してしまった(そのため、沙悟淨=ハゲと毛嫌いされている)。手塚治虫による翻案作品『ぼくのそんごくう』とそのアニメ化作品のキャラクターはスコップを持つ黒い顔の頑固な老人であり、原作に近い。原作の上での個性の薄さのお陰で、日本の西遊記の翻案では、妖怪でありながら妖怪を憎み、常に「自分とは何か」を自問している存在、一攫千金を目論むマイペースな存在、常に冷静沈着なクールな存在などかなり思い切った演出がなされ、面目躍如たるところがある。

中島敦が彼を主役とした小説「悟浄出世」、「悟浄歎異」を著している。

またドラマなどにおいては、以下の俳優が沙悟浄を演じている。長身もしくは細身の俳優が演じることが多い。


2009年02月14日

ダンジョンクルセイダーズ2 〜永劫の楽土〜

都市国家連合イムニス北部の小都市、グラキエストに存在する正体不明の巨塔『レヴェリアの角』は超古代の魔術が作り出した遺物ともされ、人目に触れたことのない財宝が眠っているといわれていた。多くの冒険者たちが富と名誉を求めて塔に挑んだが、誰一人として頂上にたどり着いたものはいなかった。そして一時の熱狂が去ったころ、『レヴェリアの角』に関してある噂がまことしやかにささやかれ始めた。それは『レヴェリアの角』の頂上には『永劫の楽土』と呼ばれる理想郷が存在するというものだった。噂は瞬く間に周辺国家に広がり、各国は噂の真相を突き止める為調査員を派遣する。 一方、国家間での紛争を調停するために作られた超国家的組織『天秤の守護者』は、各国が『レヴェリアの角』の覇権を巡り戦争に発展することを危惧していた。『天秤の守護者』のエージェント、アリオンは『レヴェリアの角』の調査と各国の調整のため、グラキエストへ派遣される。
シントニア タコス オイル マヤ吉 ケルン ミーハー ボタン たこいと デュアル アルル ライン アクサ ビー玉 ロコモコ ライフ テナー クチル トッププ ナズナ ロベニア シタニア キング ブルー レンド ハファダ シリア マリンホス タイトス リテール シラー カノープス きねづか ブダペ スノーグ チョウゲ フルタイ モミジ デブリ ブラッシ 深海魚 シルバー ビーテ トライ サイキック ブレッツ プルーフ すいか くもり ダッジ ミーア

本作は『ダンジョンクルセイダーズ』の約100年後の物語であり、『マジカルウィッチアカデミー』とは同時代・同時期の話であり、物語に登場するツカサとシルヴィアは同一人物である(『アマツ』とも同一の世界観だが、こちらとは共通点が少ない)。

アリオン=フェブリオ
主人公。『レヴェリアの角』の頂上にあるといわれる『永劫の楽土』の秘密を探り、また『永劫の楽土』を巡って各国の争いが起きぬように『天秤の守護者』から派遣されたエージェント。各メンバーがバラバラな出自を持つパーティーのリーダーとして人間関係に気を配る。女に節操がなく、仲間たちから下半身で物事を考えると評される。
物理攻撃、魔法攻撃、回復をこなす万能タイプ。まとめ役らしく、パーティーメンバーの能力を上昇させるスキルなども覚える。
エンデ(声:野神奈々)
新興国家ベルナスから『レヴェリアの角』探索のため派遣された騎士。ベルナス騎士団の秘術『霊合成』によって伝説の三騎士の力を手に入れた。加護を受ける『キングストンの三騎士』の絵本を常に持ち歩いている。任務に忠実で感情の変化に乏しく、騎士としてのプライドが高い。物語の進行とともに徐々に精神的に成長していき、人間らしくなっていく。物語後半でベルナス騎士団によって『霊合成』が解かれ、突如空虚になってしまったエンデの心にミズチが付け込み操られてしまう。スロータに取り込まれていたキングストンの三騎士の霊の一部がエンデを正気に戻すものの、それを最後に『キングストンの三騎士』と完全に離れることになる。しかし最後に初めて三騎士と会うことができたエンデはベルナス騎士としてではなく自分自身としての自我を確立する。
高い守備力でパーティーの壁となる。育て方によっては物理攻撃にも期待できる。
カバネ=ユエン=ホムラ(声:春日アン)
東方の帝国ホムラの第四皇女。人間の精を糧にして生きる魔族であるが、人間と共存している。宮廷に勤めていた人間を殺し、国を追われた姉ミズチを捕獲するため『レヴェリアの角』を目指す。飄々とした性格で常に余裕の笑みを絶やさないが、ミズチのこととなると冷静ではいられなくなる。
趣味は釣りで、グラキエストに生息するノクスオオサケを多く釣り上げる姿を度々見かけられ、地元の釣り人から「女帝」と呼ばれている。
物理攻撃に秀でているアタッカータイプ。しかし防御力に難があるため、前列に配置すると痛い目に合うことになる。物理攻撃スキルだけでなく、攻撃魔法や状態異常系のスキルも覚えることができる。
グリシーヌ=ルフトハウゼル(声:金田まひる)
魔法国家マギウスの学生。主席になるため課題として『レヴェリアの角』の秘密を探る家出少女。プライドが高く非常に高飛車な性格である。しかし、以前は名の知れた名家だったものの父親の代で没落したルフトハウゼル家を再興させるため人一倍勉学に励む努力家でもある。周囲から孤立してきたことが彼女の心の傷となっていたが、冒険を通じてアリオンたちに心を開き成長する。装備品の杖『フレミア』と帽子『スロータ』は父親の作った魔法道具で感情を持っている。あだ名はぐーりん。
塔の行く先々で自分の姿を映したサイン入りポスターを偉業として貼っており、あるしかけが施されている。
魔法攻撃、特に全体攻撃に優れている典型的な魔法使いタイプ。MPを自動で回復するスキルを習得でき、雑魚戦で非常に活躍できる。
ミリア=サルディン(声:風華)
宗教国家オラシオンの司祭。『レヴェリアの角』の調査を行い、封印または破壊するために派遣された。オラシオン教では魔法を否定しており、そのため信者であるミリアは事あるごとに魔法的存在を封印しようとする。司祭であるが性には積極的で、胸元が大きく解放した服を着て町やダンジョンを闊歩する。4児の母親でもあり、愛するあまり「関係」を持っている事が作中で描かれている。夫とも手紙で度々連絡はしているが、お互い忙しいためか仲が良いとは言えないらしい。
回復に秀でた僧侶タイプ。回復魔法だけでなく攻撃魔法や状態異常、能力上昇系の魔法も覚える。
レジーナ=ノギア(声:水瀬沙季)
グラキエスト警備隊見習いの少女。『レヴェリアの角』を探索する冒険者たちを管理するグラキエスト管理組合をきりもりしていたが、常識人が欲しかったアリオンに誘われて共に冒険することとなる。父親はグラキエスト警備隊の隊長だったが、探索に出かけたきり2年前から行方不明になっている。父親と再会してからもアリオンたちとともに冒険を続ける。頭に謎のひよこが2匹乗っかっている(名前は「ソドム」と「ゴモラ」)。
思っている事をストレートに言う主義で(悪く言えば「天然毒舌」)、たまにキツイ事を言う。
探索に役立つスキルを多く覚えるレンジャータイプ。回復スキルや装備の弓を生かした攻撃スキルも覚えることができる。
ロゼ(声:このかなみ)
放浪のモンスターハンター。元々『レヴェリアの角』に棲むあるモンスターを倒すためにグラキエストにやって来たのだが、カルディアにスカウトされともに行動している。男勝りな性格で大剣を自在に振り回すが、冷静で知的な面もある。
故郷が文化面の強い場所であり、性格上周りの者とウマが合わなかったため、自由を求めてモンスターハンターとして旅をしているというエピソードがある。
高い攻撃力と体力を誇るアタッカータイプ。敵を行動不能にするスキルや、敵の攻撃を受け流して反撃するスキルなどを覚える。
シルヴィア=ヴェスパー(声:深井晴花)
ウィザーディア魔法学園の教師で次期筆頭魔導師。『永劫の楽土』を巡って各国の争いが起きぬよう密かに見張るためツカサと共に派遣された。同社のゲーム、「マジカルウィッチアカデミー」のヒロインでもある。明るく大雑把な性格で、性に対しても積極的だが一途な面があり、心に決めた相手以外とは性行為を行わない。以前カルディアが目をつけていた財宝を横取りしたことがあり、恨まれている。闘技場でダスクウォーカー姉弟に敗れ、以来アリオンたちと行動を共にすることになる。
魔法攻撃、特に単体攻撃に優れた魔法使いタイプ。魔法攻撃が主だが、なぜか物理攻撃スキルも覚えることができる。
ナーダ(声:井村屋ほのか)
『レヴェリアの角』の中にある町で出会う謎の少女。表情に乏しいがさびしがり屋で、アリオンたちをパパ、ママと呼ぶがグリシーヌに限ってはぐーりんと呼ぶ。捨て子として扱われていたが、その正体は魔氷石を原料にミズチによって作られた魔法生命体。人形を使って攻撃する。
高い魔法攻撃力を持つ魔法使いタイプ。氷、闇系の攻撃魔法や状態異常を引き起こす魔法を覚える他にも自動でHP、MPを回復するスキルなどを覚える。体力、防御力は最も低いが回避率が高い。

サブキャラクター
カルディア=トロイメロール
『レヴェリアの角』の下層階に棲みつく盗賊『カルディア一家』のリーダー。シルヴィアに以前宝物を横取りされた因縁がある。金遣い、人使いが荒く、性格的にはダメなところが多いのだが手下たちからは慕われている。アリオン一行を追剥しようとするも敗北し、その後抱かれてからはアリオンに惚れてしまうもののなかなか素直になれないでいる。
ヒカゲ
『カルディア一家』の一人。東方の国アマツ出身の剣士。忠義に厚く、失敗ばかりのカルディアをアイアンハイドと共に支えている。
アリオンと同レベルのむっつりスケベで、後に「心の友」と呼び合うようになり、いかがわしい場所に一緒に出入りしている。
アイアンハイド
『カルディア一家』の一人。竜人族の異形の重戦士。いかつい顔をしているが料理、洗濯など『カルディア一家』の家事をこなす。人語を話すことができないが、ヒカゲとレジーナだけはなぜか話す内容を理解できる。
時々女性陣に花やクッキーなどをあげる時があり、女性陣のウケが良い。
ネイル=ダスクウォーカー
夢占術師の村で生まれ育ったが、弟のトゥースと近親相姦を行ったため村を追放され、『レヴェリアの角』の中の街で暮らしている。弟を溺愛しており、他の男には目もくれない。闘技大会でアリオンに敗れたうえ侮辱され、寝込みを襲ったが、酔って凶暴になったアリオンに逆に襲われ、以来塔の街を追放されてしまう。休むこともできず迷宮を彷徨い続け、弱っていたところをミズチに付け込まれ操られてしまう。
トゥース=ダスクウォーカー
ネイルとほぼ同じ。
ルーファン
暇つぶしのために『レヴェリアの角』と自宅をゲートでつなぎ、大金と引き換えに冒険者たちに望んだ夢を見せている謎の魔族の少女。アリオンに助言をくれることもある。
ツカサ・ストロビラントゥス
女学校として高名なウィザーディア魔法学院の唯一の男子生徒で、今回は保険医・エクレールの代理役兼お目付け役としてシルヴィアと共にレヴェリアの角に派遣される。同社のゲーム、「マジカルウィッチアカデミー」の主人公でもある。ウィザーディアに入学した原因となった魔眼「アウグストの眼」は完全に制御できるようになり、本当に危機になった時のみ発動する事にしている。
容姿端麗なためかカバネとミリアからも可愛がられているが、グリシーヌからは「試験免除の特待入学で、首席レベルの秀才」という理由から一方的にライバル視されている。
ミズチ=マオ=ホムラ
東方の帝国ホムラの元皇女。カバネの姉。宮廷に勤める人間を虐殺したことで国を追われ、『レヴェリアの角』に流れ着く。人間の生の魂を食べるという一族の禁忌を破り、精神に異常をきたすようになる。魔族として永遠に近い年月を過ごさなくてはならないことに倦み、『永劫の楽土』の噂を流して冒険者を集め、その欲望を利用して世界の崩壊を目論む。
グスタフ=ノギア
レジーナの父親。グラキエスト警備隊の隊長をしていたが、2年前に行方不明となる。実際はゲート前に巣くっていた魔物のせいで帰るに帰れなくなり、塔の街に住んでいた。筋肉質の酒豪で、アリオンを大層気に入っている。アリオン曰く「ヤクい」。
リーブス=ドーンシーカー
夢占術師の村出身の老人。追放されたダスクウォーカー姉弟を不憫に思い、彼らを見守っている。
フレミア/スロータ
グリシーヌの所有する魔法具で、杖がフレミアで帽子がスロータ。
普段は装備品としてグリシーヌに使役しているが、実は父親のルフトハウゼル卿が娘を護るためだけの目的で名誉を捨ててまで長い時をかけて製作した魔術機能の粋を集めて製作した『非公式の最高傑作』であり、娘のグリシーヌの身に危機が訪れると、フレミアは「火の鳥」に、スロータは「大顎の大鮫」へと変化する。その時の戦闘力は一騎当千に等しく、魔物の軍勢も屠る事ができる。
キングストンの三騎士
アイオーン中央大陸の歴史において名高い三人組の騎士達で、リーダー格の「ダルトン」、ニヒルな「ルイス」、寡黙な「シェーン」の三人の騎士で、霊合成によりエンデの魂と同化しており、エンデが寝ている時のみ絵本を触媒にして姿を表す。エンデがこの三騎士の物語が大好きだから霊合成に成功したと三人は語っている。
彼らの物語は英雄譚として語り継がれているが、実際は行き当たりばったりのやけくそなものばかりで、本人達もかなり美談化されていると苦笑している。エンデには女の子らしく生きて欲しいと父親ながらに見守っている。

2009年01月27日

サーブ 29 トゥンナン

サーブ 29 (SAAB 29) はスウェーデンの後退翼ジェット機である。同国の航空機・自動車メーカーであるSAAB(Svenska Aeroplan AB:「スウェーデン航空機会社」の略)によって開発された。胴体が膨らんだ特徴的なスタイルをしていることから、トゥンナン(樽の意味)という綽名がつけられていた

サーブ 29は、1948年9月1日に初飛行した。なお、これとほぼ同時期にソ連のMiG-15やアメリカ合衆国のF-86、アルゼンチンのプルキー IIなど後退翼の新型ジェット戦闘機が初飛行を行っており、当時は革新的な新技術であった後退翼が各国によって試されて
ジョブコー ダーポポ プライ オール ハンドグ フェア はずたか タフガ シミュレ 冬の花 ポテト トゥー ハンカ ハシェマ やまふじ インレット ゆずの里 カガシ マンシェ ナサラ ヌクレ 検索モミ カラカス スピー オリジナ 水菜 ビジョン ズーム マウンテ ドレス トカマク ムギセ ベニバ グラソース キング コード オパール オーセン クール ランボ たてじょう ブラゾーン おおみ リンス バロキ スノー ドウェー プレス プロペ いぬまき

サーブ 29には数種類の派生型が製作された。機首に機関砲を搭載した戦闘機型J 29、機関砲のかわりにカメラを搭載した写真偵察機型S 29、また、攻撃機型としてA 29も開発された。スウェーデンの戦闘用航空機はこのように同じ設計の機体で各任務をこなすべく派生型が製作されるという特徴を持っている。現在、スウェーデン空軍の主力機であるサーブ 39 グリペンも、戦闘・攻撃・偵察の3つの異なる任務を1機でこなすマルチロール機となっている。これは相対的に国力の小さなスウェーデンには、それぞれの任務に対して専用の機種を開発する余裕が無かったことの表れでもあるが、20世紀末以降の潮流である戦闘機のマルチロール化の土壌をスウェーデンはかねてより有していたといえよう。

サーブ29は機体性能的にも優れており、1954年には500km区間での速度記録977.35kmを樹立した。665機が製造され、1965年まで第一線機として運用された。

輸出はMiG-15、F-86、ハンターなどと競合した結果殆ど成功しなかったが、オーストリアは30機のJ29AとS29Cを1961年に導入、1972年まで運用した。その後、同国は同じくサーブ製のJ 35Öを導入し、2005年にF-5Eに代替するまで運用した。

唯一の実戦参加はコンゴ動乱で、国連軍機として派遣されたスウェーデン空軍の5機のJ29がロケット弾を搭載して地上攻撃に参加し、また同時に暗色系の迷彩を施したS29も前線偵察活動を行った。

以下のスペックに関する文献などの情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。
使用されている単位の解説はウィキプロジェクト 航空/物理単位をご覧ください。
J 29A A/J 29B S 29C J 29E J 29F
全幅 11 m 11 m 11 m 11 m 11 m
全長 10.23 m 10.23 m 10.23 m 10.23 m 10.23 m
全高 3.75 m 3.75 m 3.75 m 3.75 m 3.75 m
自重 4,580 kg 4,640 kg 4,700 kg 4,600 kg 4,845 kg
最大重量 7,530 kg 8,170 kg 8,000 kg 8,170 kg 8,375 kg
最高速度 1,035 km/h 1,035 km/h 1,035 km/h 1,035 km/h 1,060 km/h
推力 2,270 kp 2,270 kp 2,270 kp 2,270 kp 2,800 kp
エンジン De Havilland Ghost DGT3. RM 2 / RM 2B